2010年04月06日

ベストアンサーの没個性(※長文注意)


今日のYAHOO!の「みんなのアンテナ」は、「仕事ができない女の人に怒鳴ってしまいました」

ベストアンサーの回答は「怒鳴られたほうも怒鳴ったほうも評価が悪くなる」とあります。
たしかにそうだけど、評価するのは会社側。
いち個人として、「その場合は怒らなくていいんですか?」と疑問に思う場面は多々あります。

去年職場で誰かが誰かを怒鳴った≠ニいう噂が流れました。
詳しくは知らないけれど、どうやら職員がオバハン上司に噛み付いたらしい。
「怒っちゃダメですよね」と話しかけてくる人に、私はしょうがないと思いました。
そのくらいひどかったから。

上司に噛み付けば、上からの圧力でそんな部下はいくらでも潰せます。
たしかに評価は下がるでしょう。
けれどひとりの人間としてみた時、評価を気にしてうわべだけヨイショする輩をどうも私は信用できません。
仕事ができるにこしたことはないけれど、最初からベストアンサーに従って仕事をマスターすることに魅力を感じないのです。

それは利用者からみてもハッキリわかるらしく、できる職員のテクニックを盗んで同じようにやってみせても、どこかちがうのです。
それらしく見せるのと、本当にそうであることは全然ちがう。

だからといって、ベストアンサーから最もハズれたことして働く人にも同情しません。
私もうまくできなくて悩んだ時期があるから同じ部類。
同じ部類だからわかることですが、オタマジャクシがいきなり蛙と同じ仕事をするのは相当ツライものだと覚悟したほうがいい。
フレッシャーズはベストアンサーを身に着けようとして躍起になるものですが、私はそこから生まれるヒズミ≠フようなものを感じます。

先日、今村克彦さん率いるダンスチームを見た人が、ブログで興味深いことを書いていました。

「かかえている問題が大きければ大きいほど その踊りから伝わってくるものがある。
それは 一種の 人としての正しさ である。
たとえ 学校や家庭で 悪い子と言われていようが 懸命に踊る姿から感じられるのは 人としての正しさなのである。」

その正しさ≠ニは何なのか。
ブログでは北大路 魯山人のエッセイが引用されていました。
北大路 魯山人は料理家であり、書道家でもあるマルチ芸術家です。

・・・字でいえば、習った「山」という字と、自分で研究し、努力した「山」という字が別に違うわけではない。
やはり、どちらが書いても、山の字に変わりはなく「山」は「山」である。
違いは、型にはまった「山」には個性がなく、みずから修めた「山」という字には個性があるということである。
みずから修めた字には力があり、心があり、美しさがあるということだ。
型にはまって習ったものは、仮に正しいかも知れないが、正しいもの、必ずしも楽しく美しいとはかぎらない。
個性のあるものには、楽しさや尊さや美しさがある。
しかも、自分で失敗を何度も重ねてたどりつくところは、型にはまって習ったと同じ場所にたどりつくものだ
そのたどりつくところのものはなにか。
正しさだ。
しかも、個性のあるものの中には、型や、見かけや、立法だけでなく、おのずからなる、にじみ出た味があり、力があり、美があり、色も匂いもある。


一般企業で働くと、型どおりの正しさ≠マスターすれば個性なんて必要ありません。
むしろ個性は集団の邪魔をします。
小学生は大学院では学べません。
集団が同じレベルでスタートするには、あらかじめある程度の理解度は必要になってきます。

福祉の現場で上手に個性を発揮している人は、その個性を利用者との潤滑油に活用しています。
それをうわべだけで真似されるとたちまち別モノになってしまい、悪影響につながることもあります。
本当の自分(個性)で勝負しないと、利用者や保護者から見抜かれてしまうことも。
彼らはうわべだけの人間をたくさん見てきてますから。

たとえば島田紳助はダウンタウンの松本人志をリスペクトしたうえで、「今のお笑いの質が下がったのはお前らのせいやで」と言っています。
松本人志のお笑いは簡単そうにみえて難しい。
素人くずれのように見えるけど、ピカソのような高度なお笑いで、なかなか真似できるものではないそうです。
けれどダウンタウンがメジャーになると、影響された若手が手軽なお笑いを目指します。
個性を磨かず、テクニックだけ真似した人たちが質を下げるのです。

ではどうやって個性を磨けばいいかというと、そう簡単に手に入るものではなさそうです。
魯山人は「自分で失敗を何度も重ねてたどりつくところ」に個性があり、ベストアンサーと同じ正しさがあるといいます。
型にはまらない正しさは人間味に溢れていますが、それ故にエリートコースには向いていません。
最初から出世したい人は、無難な型にはまればいいのです。

福祉の現場は、個性むき出しの利用者がいかに集団生活していくか。
水と油をどうなじませてドレッシングにしていくか。
極端な話、泣くことも怒ることもできないなら介護ロボットで十分。
自分の個性(感情)を社会化させていくことが、支援のコツをつかむ秘訣かもしれません。
「支援するには感情をコントロールすることも必要、周りの協力も必要、だからうまくやらなきゃ!」・・・というならわかりますが、YAHOO!のベストアンサーのように、評価のためにおとなしくしていると寂しい大人になってしまいます。
職員(の中身)が育たないところで、利用者が成長するはずがないんだから。
posted by 亀有夕子 at 14:45| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ番組から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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