2011年12月30日

松本タカ「ナニワのコッチー」と福本さん

ナニワのコッチー 1 (ヤングチャンピオンコミックス) [コミック] / 松本 タカ (著); 秋田書店 (刊)

昨日亀有のBOOKOFFで相棒が立ち読みしていたマンガ、
「ナニワのコッチー」(全2巻)。
通天閣を舞台にくりひろげられるラブコメディ・・・でいいのかな・・・。(^^;
ヒロインの女の子があまりにも暴力的で(笑)、
ラブコメというには生ぬるい気がするのですが、
テンポのいいお笑いが随所にちりばめられており、かなり面白くて買ってしまいました。
(なんせ主人公のあだ名「コッチー」の由来が、「ツチノコみたいな○ンコしてるから」!!!!(笑)

「大阪在住の方以外のための作中ローカルネタ解説」のページには、
「福本さん」(実在の人物)の説明文が笑えました。
「阪神OBでも何でもないのに阪神ファンの間ではカリスマ的人気のサンテレビの(野球)解説者
とありますが、その理由はこの名(迷)言の数々!!
ごめん、見てなかった
(0が並ぶスコアを見て)タコ焼きみたいやなぁ
(延長戦に入ったら)アカンで、電車無くなるで

熱狂的なファンじゃなくてもおもしろかったら受け入れられるという、大阪独特のノリですわ。(笑)




「福本さん」
に興味を持ち、相棒に聞いてみたら、
「阪急の盗塁王で世界新記録達成の持ち主」だとか。(゚д゚;)
国民栄誉賞を打診されるも、
「そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる」と辞退。(wikipedia「プロ入り後」参照)
「外国へ留学するならまず大阪へいけ」とはうまくいったものです。
価値観がぶっとんでますね。
国民栄誉賞より立ちションが優先するんですよ!?(笑)

おまけに「福本さん」奥さんもかなりの天然で(^^;、
自分の夫がプロ野球選手と知らず
「松下から阪急へ転職した」と知らされて駅員になったと思い込み、各駅で夫の姿を探し回っていたそうな。(゚д゚;;)→(wikipedia「プロ入り前」参照)
野球選手の奥さんというだけでセレブ気分のモデルさんもいるのに、
(まったく違う意味で)こんな勘違いができるなんて素敵すぎるっ!!(笑)

「もともとおもろい人が、たまたま野球選手になったって感じやな」と相棒はいいます。
私は、野球選手になってもそのおもろさ≠失わないでいられるところが凄い!と思います。
それにしても「ナニワのコッチー」からエエ拾いモノをした!!
(かくいう私も、福本さんの現役時代に大阪で住んでいたのに、「盗塁王」とか全然知らなかった!!)

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2011年12月03日

「ガラスの仮面」より『すり替えられた台本』


「こんなふうに別れるなら何故出会ったんだろう」と真剣に落胆してしまった時期があった。
その時はわからなかったけど、5年、10年経つとだんだん見えてくる。
あの時出会わなかったら、
あの時別れなかったら、私は自分を見つけられなかった。

『すり替えられた台本』より
大都劇場の『夢宴桜』に急遽代役として出ることになったマヤ。
だがマヤを疎んじる出演者が台本をすり替えていた。
マヤは芝居の筋がわからないまま、舞台へ・・・。
マヤを誘導するために進み出たのは亜弓だった。
思いがけない形の共演。
亜弓の見事なリードに、かなわないという思いを強くするマヤ。

こちらをクリック

ガラスの仮面 1-24巻セット (白泉社文庫) [文庫] / 美内 すずえ (著); 白泉社 (刊)

思い出すのは「ガラスの仮面」
台本をすり替えられ、間違ったセリフを覚えてしまう北島マヤ
本番中に気づいたものの、このままでは芝居をつづけられない。

そこでライバルの姫川亜弓が登場する。
「役になりきるあの娘なら次のセリフがわかるはず」
そういってアドリブを吹っかける。

(亜弓さんは私に何をいわせようとしているの?)
必死にセリフを模索するマヤ
追いつめてくる姫川亜弓に本能で演技する。
「こんな家、出ていってやる!!」
そう叫びながら飛び出していく。

それで正解。
あのシーンでマヤが飛び出さなければ、次の芝居につながらなかった。

生きていたら、どこかで台本をすり替えられてしまうこともある。
間違った方向にすすんで追いつめられる。
そんな時に頼りになるのは本能なのかもしれない。
役になりきっていたら「こんな家、出ていってやる!!」といえる。
なりきってなかったら、すり替えられたセリフしか出てこなくなる。
そのままいけば舞台も役者人生も崩壊してしまう。

そんな時に出くわすのが自分を追いつめる人。
追いつめること自体にいい悪いはなくて。
本来の姿を引き出すために追い込まれてゆく。
本来の自分になりきるために。
そんな出会いだってある。
そんな別れだってある。

「こんな家、出ていってやる!!」

私にそう言わせてくれてありがとう。
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2011年10月10日

一条ゆかりの「プライド」番外編と最後の「コーラス」



雑誌「コーラス」が今月号で終了します。
最後の表紙を飾るのは、2009年に連載終了した一条ゆかり「プライド」
来年からは「KOKOHANA」 という雑誌名で生まれ変わるとか。
「プライド」番外編が読める!ってことで購入したら、たったの4ページ・・・。

コーラス 2011年 12月号 [雑誌] [雑誌] / 集英社 (刊)

それにしても、一条ゆかりはさすが。
ずっと第一線で活躍してきただけあって、たった4ページでも十分読ませます。
短いコマ割なのに、登場人物を魅力的にからませて、面白い読みきりにしてしまう!
今も群を抜いて読ませますね、一条ゆかりは。

本編ではアガペー(神の愛)で身を引いた蘭丸が、
人妻となった史緒(しお) にまとわりついて、
二人きりになれないジレンマに欲求不満の夫、神野隆
ミュージシャンとして成功する前は、敏腕社長の神野にハナであしらわれていた蘭丸
それが今では、子供を使って、夫婦の時間を邪魔する愉快犯に笑えます。(^^)


長年にわたってあれだけの漫画レベルを、一条ゆかりはよく維持したなぁ〜。
主要キャラ(「プライド」のベティ)をアシスタントが担当するようになっても、
人物や背景の描き込みは手を抜いてなかった(抜かせてなかった)。
アシスタントは流動的。
漫画家にとって必要不可欠な存在ですが、生活の保障はできなくて、人気がなくなると離れていくケースが多いようです。
1970年代の作品から2009年の「プライド」まで同じアシスタントの絵柄で描き込まれてたから、
一条ゆかりはスタッフを大事にする人なんでしょうね。

ベテランになればわからないように(センスよく)手を抜いて、
空白だらけの原稿になる漫画家が多いのに、
最後までそれをしなかったところが、大御所の「プライド」です。(^^)


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2011年05月15日

コミック版「神との対話」

コミック版 神との対話 [単行本] / ニール・ドナルド・ウォルシュ (著); 円茂竹縄 (イラスト); サンマーク出版 (刊)

今日、北千住の紀伊国屋書店でみつけました。
世界中でベストセラーになった「神との対話」 のコミック版です。
実は私、「神との対話」のオリジナル版を途中で挫折しています。
理由は「眠くなるから」なんですが、(^^;
読めば読むほど頭でわかったような気になって、ストンと入っていかないんですよ。
自分とリンクしてないというか、「そーいう考え方もあるよね」と他人事になってしまうんです。
本を読んで、納得して、自分とリンクしていたら、すぐ実行に移すと思うんです。
いいこと書いてるなー」と思っていても、抽象的な文章を理解するのに精一杯で、
なかなかそこまで辿りつかないんですよね。

こういう本って、描き手がよっぽど心得てないとわかりやすく表現できないものなんですが、
このマンガはうまく噛み砕いて説明していました。
しがないサラリーマンが、「神との対話」を実践したらどうなるか。

「神との対話」は、
スローライフを提唱したり、スピリチュアル関係の仕事についている人ならピンときやすい内容。
その真逆にいる職種の人に通用しない教えだったら、お花畑で仲良くしましょ≠フ世界観で終わってしまうと思うんです。
そういう意味でこの作品は、広告代理店の営業サラリーマンを主人公にすることで、
すごくわかりやすくなっています。

今回私がストンときたのは冒頭のこの言葉。
すばらしくないとはどういうことかわからなければ、
 すばらしいということを知ることはできない。
 否定があって初めて肯定があるからだ
。」

たしか私もブログで、同じようなセリフを使ったことがあります。
本物を知るにはたくさんの偽物を知らなきゃいけないわけで、
 沢山の偽物を知ってるからこそ本物を見極められる、ともいえます
。」
・・・と書いておきながら、
自分にそれをあてはめてもストンと落ちてこないことがあって。
だけど今日は別のアプローチからこの内容を読み、(抽象的な表現なのに)すごくわかりやすかったです。

適当に満たされた生活では、「自分が何者であるか」なんて問いかけはしません。
そんなこと考えなくても食べることに困らないし、
暑さ寒さをしのげる部屋の中でぐっすり眠ることもできます。
こんな相手じゃイヤだ!」とか、
こんな生活はたくさんだ!」という思いから、
自分は何を望む人なのか」がハッキリしてくるんですね。
否定することによって、(自分にとっての)肯定の対象が見えてくる。

よく考えてみたら、私はそれほど社交的でもないんです。
それなのに、ずっといろんな人と交流したいと思っていました。
交流するのはOKですが、深くつきあうとなると話は別です。
たとえば「No!」と拒んでいるのにしつこくコンサートに誘われて、
案の定つまらなかったりすると、私の怒りはハンパないものになります。
そんなふうに逃れられない影響力でつきあう相手はNGで、
やたらと私を紹介しまくる人も苦手です。
そういう自分に気づくことができたのは、
逃れられない影響力でつきあったり、いろんな人に紹介されまくった結果ですね。

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posted by 亀有夕子 at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | レビュー(本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月26日

バースデームーンによせて

バースデームーン―月を見ると、こころが綺麗になる 月が教えてくれる、あなたの過去・現在、そして未来 (マーブルブックス) [単行本] / 蓮見 天翔, 88d (著); マーブルトロン (刊)

昨日はアリオのキディランド(書店)へ。
「ここならあるだろう」とのぞいてみれば、知人の本がラスト2冊。
震災の影響で1ヶ月ほど発売日が遅れたそうで、4月22日発売なのにラスト2冊。
(キディランドさん、引き出しのストックから補充しといてね〜)

本当は「友人」と称してもいいくらい長いつきあいなのに、
どうも気恥ずかしくてブログでは「知人」としています。
もし「友人」ならもっと私は彼女の前で客観的に自分を語るだろうし、
もっとセーブしてふるまうと思うんですよ。
だけどセッションでの私は毎回包み隠さず話していて、
時には彼女という存在を無視して話すこともあり、
それなのに「友人」だなんて呼ぶ資格はないわ、と勝手に控えてた感じです。

振り返ってみると知人の前では、
「どう思われてもいいから好きなように語らせてほしい」という気持ちが強くありました。
また、そうさせてくれたのは知人だけでした。
カウンセリングを受けて客観的に自分を語ると、
「あなたはまともだから」といってカウンセラーが個人的に近づこうとします。
たぶんまともじゃない人をたくさん見すぎて、冷静に話すクライアントがいると、
対等に向き合える気楽さから、カウンセラーの領域を超えてしまいたくなるんだと思います。
私も訪問介護の仕事をしていて、そういう気持ちになる時があります。
だけど「それがトラブルのもとだ」ということも知っています。

相手が男性でも女性でも、所長や理事長を務めるようなカウンセラーでも同じでした。
私が話せは話すほど、カウンセラーじゃなくなってしまう。
カウンセリングは自由に自分を語れる場なのに、
その枠を外されたら私はますます普段の反応しかできなくなります。
自分の気持ちを包み隠して、相手を不快にさせない反応しかできなくなるのです。
そんな状態でカウンセリングしても私自身の問題の核心に到達できません。
カウンセリングの枠を外された時点で、
個人的にも、クライアントとしても、話そうとは思えなくなるのです。

普段職場では思うように言えないことばかりで、
言いたいことを言われてばかりで、
そういう自分を解放する唯一の場所が代官山のセッションでした。
私には心のうちを語る相手がどこにもいなかったし、
語ったところで共鳴しあえる人もいなかったから、
(一人いたけどなかなか接点が取れなかった)
代官山のセッションは「とにかく話せたらいい」と割り切って、
それ以上にもそれ以下にもならないようにしていたような気がします。

男の人なら居酒屋やキャバクラで発散できるかもしれないけど、
そういう場で私は虚しくなるタイプなんですね。
上澄み液だけすくいとったような宴会で、楽しめるタイプじゃないんです。
一人暮しの時はよくひとりカラオケしてましたが、
話せる相手がいる状態≠ノなってからはプッツリと行かなくなりました。
もうカラオケで高いキーは出せないだろうけど、それでも今のほうがいいです。

そんな安堵感を知らずに仕事ばかり追いかけてると、いつか崩壊してしまいます。
誰にも頼らず迷惑かけずに貯金する≠ニいう心構えも心の安定になりえるけど、
そればかりを基本にすると余裕がなくなります。
遊び心がなくなります。
遊び心のない生活は窮屈で人間らしくありません。
人間らしくない心は自然と共鳴することができなくなります。
月をみても、星をみても、海をみても、山をみても、
「そこにあるもの」という扱いしかできなくなります。

バースデームーンを知ることは「心のうちを充足させること」でもあります。
「変化することを前提に暮らす心構え」でもあります。
社会は太陽暦で動いてるけど、自分のリズム(周期)を知っていると暮しやすくなりますよ、という本です。

posted by 亀有夕子 at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | レビュー(本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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