2011年04月27日

41才の春まつり〜トキワ荘めぐり〜

おとといの朝、起きたら相棒がまだいる。
もしかしてクビ?
ウチでは
仕事、クビになったら平日に旅行するというきまりになっている(安くてすいてるから)。
この御時世、どっちに転んでもいいように心の救済措置をとっているんだけど、
相棒いわく、「微妙にプレッシャー」らしい。

聞けばクビではなく休みだという。(ちっ)
平日に二人とも休みだなんてそうそうないぞ。
ウチらだけでGWに予定していた41才の春まつり〜トキワ荘めぐり〜を急遽開催することに。

今は当時の石柱しか残っていないトキワ荘跡。
日本マンガの礎を築いたマンガ家達(手塚治虫・藤子不二雄・石森章太郎・赤塚不二夫など)
がここで暮していた。

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山手線で池袋へ向かうと東の空が鉛色。
バスに乗った途端、横殴りの雨。
だけど南長崎2丁目で降りる頃にはすっかりやんでいました。
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トキワ荘の前はニコニコ商店街。
ところどころに古い市場の跡。
「まんが道」や「愛しりそめし頃に」の世界が甦ります。
 「ンマ〜イ!」でおなじみ、松葉のラーメン
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あさって4/29(金)10:30から開催される、
記念碑「トキワ荘のヒーローたち」完成2周年
スタンプラリーやトークイベント、
赤塚不二夫が仕事場に借りていた紫雲荘の(たぶん)202号室が特別公開されます。
祝日だからお休みの方はGO !
テラさんオリジナルのチューダー、もちろん売ってますよね?110425_1316~01.JPG
こちらが紫雲荘。
近くにあった鶴の湯がなくなった今、
住人はどうやって風呂なしアパートでしのいでるのでしょうか。

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トキワ荘の記念碑がある南長崎3丁目公園。
大きなケヤキを目指しながら公園に向かうと、樹齢300年の巨木は個人宅(お屋敷)の庭にありました。
アド街ック天国の「東長崎」特集で、No.3 に輝いた○崎邸です(個人宅なので削除されてました^^;)。
日本家屋の立派な門構えからお庭をのぞくと、

ふぁんふぉんふぁんふぉんふぁんふぉん〜

パナソニックのインターホンがお庭中に鳴り響いてるじゃありませんか!

「逃げろっ!! ドーベルマンに襲われるぞ!!」

・・・と叫びながら、ピンポンしてないのにダッシュで帰りました。


41才の春まつり終了〜
ラベル:トキワ荘
posted by 亀有夕子 at 21:56| Comment(2) | TrackBack(0) | まんが道・トキワ荘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月22日

まんが道の続編 「愛…しりそめし頃に…」

愛…しりそめし頃に…―満賀道雄の青春 (1) (Big comics special)

愛…しりそめし頃に…―満賀道雄の青春 (1) (Big comics special)

  • 作者: 藤子 不二雄A
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1997/03
  • メディア: コミック

 

藤子不二雄Aの「まんが道」を読んだら、これも読まなきゃ!です。

現在9巻まで出ています。

「まんが道」は藤子・F・不二雄との出会いから漫画家としてデビューするまでの自伝ですが、こちらは彼らの漫画がブレイクするまでのトキワ荘時代。

昭和30年代の世俗が細かく描かれていて、まるで古い映画をみているようです。

それだけでも楽しめます。

 

昭和の漫画史を代表する作家たちが熱中していたのは、漫画だけではありません。

キャンプや8ミリ映画を製作したりして、引きこもりのオタクでないことに驚かされます。

西部劇の漫画を描く為に資料を集める…ここまでなら普通の漫画家です。

当時としては思い切った買い物の8ミリビデオ。

それを使ってトキワ荘の仲間と多摩まで出かけ、西部劇の映画を作るなんて活動的。(第7巻)

野球大会を開いては手書きの表彰状を作ったり、スクーターで京都まで旅したり。

藤子不二雄たちは、青春を謳歌していたんですね。

 

長い間コンビで漫画を描いてきた藤子不二雄Aですが、第2巻では相棒の急逝に「さらば友よ」

を書き下ろしています。

「ドラえもん」の作者、藤子・F・不二雄が亡くなったのは1996年。

もう随分経つんですね。

私は「天才バカボン」や「サイボーグ009」をみて育った世代ですから、赤塚不二夫も石ノ森章太郎も身近な漫画家でした。

今となっては過去の人。

トキワ荘の生き証人が描く自伝は、そんななつかしさで一杯です。

 

posted by 亀有夕子 at 10:45| Comment(0) | TrackBack(0) | まんが道・トキワ荘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月08日

お嬢様は一匹狼が好き…テラさんも慕った棚下照生

      トキワ荘のリーダー的存在・テラさんが親しくしていたマンガ家・棚下(たなか)照生は、既に他界されています(2003年没)。   二人は少年誌の投稿マンガで知り合いました。   棚下照生が声をかけ、テラさんは上京したのだそうです。   テラさんは棚下と深い親交を持ちますが、棚下照生はトキワ荘の住人に違和感を持ちます。      

どれもこれも、漫画を描くのを不良行為とは思っていないらしい雰囲気の発散がそこにあった。  少年は場違いの自分を感じていた。 (俺のいる所ではない)  破滅型の性格を持つ少年は、寺田とその仲間に溶けこめず、また酒を呑み、描き、酒を呑む生活に戻る。

   寺田ヒロオ編「『漫画少年』史」に寄せられた棚下照生の文章の一部       そして、棚下自身はトキワ荘には寄りつきませんでした。   のちにマニアの間で支持を得る、つげ義春も同じでした。   彼らの共通点は、貧乏のどん底でマンガを描いていたこと。   棚下照生は16歳で九州から単身上京、戦後焼けた公衆トイレで寝泊りしながら、独学で漫画を勉強。   新聞配達や給仕の仕事を経て、劇画家として成功したそうです。   学校へいく余裕も遊ぶ暇もなく、生きていくだけで精一杯。   にも関わらず、その中でマンガを描いてきた棚下照生。   学生時代から純粋にマンガに没頭できた藤子不二雄や石森章太郎をみて、トキワ荘はノンキなオタクの集まりに見えたのかもしれません。       芸者遊びを繰り返し、血を吐くまでお酒を飲んで豪遊していた棚下照生ですが、代表作「めくらのお市の物語」が映画化し、 主演をつとめた松山容子と結婚。   そう、あのボンガレーの初代看板女優さんと結婚したのです。       松山容子といえば、和服が似合う愛媛出身の日本的美人。   「讃岐男に伊予女」といって、愛媛には美人が多いそうです(初めて知りました)。   ウィキペディアでは「銀行を経営する名士の家に生まれた」とありますから、お嬢様です。   一方、棚下照生は「破滅型」の無頼派。   生まれも育ちもまるでちがう二人がどうして引き合ったのでしょうか。   松山容子は語ります。     「人間的にとても温かみがあり、魅力的でした」     私はてっきり、棚下照生が松山容子を口説いたのだと思っていました。   実際は反対で、松山容子からの猛烈なアタックがあったそうです。       「ワタシはすっかり主人に魅了され、魂を奪われてしまったんです」     可憐な容姿と華麗な太刀さばきで、日本中の魂を奪った名女優がそう語るのです。   亡き後もそんなふうに妻からノロケられるなんて、ちょっとしたいい話。(ゲンダイネットより)   性格や画風が全く異なるテラさんも、その温かみにふれていたのでしょうか。   棚下照生もマンガ家をやめてしまいましたが、どうやらヒューマニストだったようです。  
posted by 亀有夕子 at 08:33| Comment(11) | TrackBack(0) | まんが道・トキワ荘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月06日

「正義の味方」がつらくなったテラさん

 

「まんが道」でおなじみのテラさんは、手塚作品から影響を受けたマンガ家です。

手塚先生同様、「正義」や「友情」をテーマにしたマンガを描いていました。

テラさんと親交のあった棚下照生先生は、彼のことをこんなふうに語っています。

「 『こういう生き方をしたい』というものをマンガで描いてみたかったんじゃないかなぁ。 描いてる人物に自分を同化させていたところがあった。」 (「テラさん寄りのトキワ荘外伝」より)

 

もしそれが本当なら、とても苦しい葛藤だったと思います。

私も少女マンガの名作「キャンディ・キャンディ」には感動しましたが、キャンディのようには生きられません。

「ブラック・ジャックによろしく」にあるように、手塚マンガに憧れて医者になっても現実の壁が厚すぎるのです。

マンガ家・西原理恵子さんの「いけちゃんとぼく」は、そんな現実を踏まえた上で多感な少年期を見守っており、男性に支持されています。

いけちゃんは少年の”ぼく”にささやきます。

「正直に生きていれば、必ずいい事あるなんてウソだしね。」

西原さんがこのようなセリフを入れるのは、彼女自身、名作とよばれる児童文学に疑問を持っていたからでしょう。

(参照→http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20070816

 

少年少女に与えるマンガは、「善良」で「明るく社交的な主人公」に越したことはありません。

子ども時代に読まないと素直に感動できない作品もあります。

だけど、それだけでは生きていけない事実もあります。

善良すぎる作品は、善良でない環境で育った子どもにとってフィクションでしかなく、共感できないのです。

 

単純な善悪ではとらえられないほど、時代は変化してしまいました。

 

また、善良なマンガは作者をも苦しめてしまいます。

ヒューマニズムな作風で知られる手塚先生は、自身もヒューマニストだと思われがち。

けれどその件には触れられたくないようでした。

「はっきりいえばヒューマニストの振りをしていれば儲かるからそうしているだけで、経済的な要請がなければやめる」(ウィキペディアより)

そして、水木しげるやつげ義春など、本音だけでマンガを描いてる人たちを「羨ましくてしょうがない」と発言しています。

”マンガの神様”でさえも、ヒューマニストの振りはつらかったのです。

「作品と作者は別モノだ」という認識があっても。

 

posted by 亀有夕子 at 17:25| Comment(0) | TrackBack(0) | まんが道・トキワ荘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月05日

「まんが道」だから満賀道雄!?

 

昔、兄の本棚にあった「まんが道」。

私が読んだのは藤子不二雄らが上京するまでの話でしたが、その後に続編が描かれて全14巻。

調べてみたら、続編の上京編でブレイクし、1987年にはNHKでドラマ化されていたんですね。

(その頃テレビみてなかったから・・・^^;)

上京編は読みごたえがあります。

趣味で描いていた学生時代より、ずっとおもしろい。

 

最初の下宿先は両国。

あさり売りの声で目が覚め、時計修理店の御主人は無口だけど気遣ってくれていて、下町らしさがよく出ています。

2畳一間で漫画を描く満賀道雄(藤子不二雄A)と才野茂(藤子・F・不二雄)。

暇があれば映画をみにいき、漫画のアイデアを練ります。

 

尊敬する手塚治虫先生の影響もありますが、映画が数少ない娯楽だった時代です。

娯楽を参考に漫画を創作。

集中した後は必ず散歩したり銭湯へ行ったりして息抜き。

すでに過労死する漫画家(「赤銅鈴之介」の作者)がいたことから、二人は健康管理も考えて自立していきます。

今では息抜きの効率が科学的に立証されていますが、頭で理解する前に身体が求めていることを自然に行っているんですね。

それもこれも、漫画を描きつづけるため。

娯楽も息抜きも健康管理もできなくなる人が多い中で、とても好感がもてます。

 

いいことばかりではなくて、漫画家としてやってはいけない失敗もしてしまうのですが、それも含めて「どうして失敗したのか」「どうやって失敗をのりこえたのか」が描かれており、応援したくなります。

ただの成功物語にしないで、共感を持って読ませるところがベテランです。

上京編は大変だけど、二人の成長していく姿に読みごたえがあります。

 

この漫画の醍醐味は、漫画家の大御所が登場するところです。

 

手塚治虫をはじめ、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、つのだじろうと、漫画で育った世代なら皆知ってる先生がノンフィクションで交流している、ぜいたくなキャラクター設定。

 

漫画界の先駆者・手塚治虫がまた、さりげなくいいアドバイスを残しています。

 

「ただひとつ、気をつけなければいけないのは、 かならず自分の描きたいものを描く ということだよ!

 描きたいものを描いているうちは、どんなに仕事がキビシクてもやりとおすことができる!

 しかし、描きたくないものをムリして描くと、イヤ気がさして作品に熱中できない!

 ぼくが夜もねないで、こんなにまんがばかり描いていられるのも、描きたいものがいっぱいあるからなんだよ!

 

これはただのアドバイスじゃなくて、手塚治虫みずからの経験に基づいた言葉だと思います。

そうやって先駆者たちは、あっちこっちで転んできたんでしょうね。

十代の頃にこの上京編を読めば、建設的な将来設計の青写真になれそう。

(私は十代の頃に読んでおきたかった!)

 

posted by 亀有夕子 at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | まんが道・トキワ荘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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