2012年03月23日

ヤス 〜ハチムシ編〜


 両親はスポーツ万能なのに、誰に似たのか私は運痴です。
 小学生の頃からボール遊びではいつもやられてばかりでした。
 そんな私がめずらしく、飛び交うボールをよけ続けたことがあります。

 たしか小学5年生の時。
 休憩時間にクラス対抗で「ハチムシ」というボール遊びをしていました。
 敵は強い者から倒していきます。
 次々と退場するクラスメイト。
 いつもなら真先にアウトになるのは動きの鈍い人なのに、何故か私ひとりが残ってしまいました。

 クラスメイトは私に最後の望みをかけます。
 私があと1週走れば全員復活できるからです。
 だけど四面楚歌。
 陣の外ではボールを投げ合い、私を挑発しています。
 そう簡単に走り出せません。

 チャンスをうかがっていると、運良くエラーして転がり出すボール。
 ここぞとばかりに全力疾走する私を、真正面から投げつけた男の子がいました。
 それがヤスでした。

 目をひんむいて、渾身の力を込めて。
 2メートル程の至近距離から投げられたボールは、容赦なく私の顔面を直撃。
 呆然とする周囲。
 うずくまる私。
 したたる鼻血。

 「誰か保健委員は!?」

 せっかくの呼びかけも虚しくこだまするだけ。
 保健委員は、鼻血をだしてうずくまっている私だったのです。

 「夕子さんやで」

 手出しできない状態がさらなる沈黙を招き、皆の動きを止めてしまいました。
 しかたなく私は一人で保健室へと歩いていったのでした・・・。
 

 翌朝登校すると、ヤスが私の家の前を歩いていました。
 私の近所に住む「子分」を迎えにいくそぶりでしたが、ヤスは「番長」です。
 「番長」みずから「子分」のほうへ、しかも学校とは逆方向なのに、わざわざ出向くはずがありません。
 私を見るなり、気まずそうに声をかけてきたヤス。

 「昨日・・・ゴメンな」

 「ええよええよ、気にせんとって」

 それだけのやりとりでしたが、なんだかとても晴れやかな気分でした。
 鼻血は痛かったけど、ま・いっか!って感じです。
 ああいうところがあるから憎めないんでしょうね。
 ケンカでは負け知らずの番長が、そんなこと気にするなんて。

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2012年03月17日

ヤス 〜出会い編〜


 その昔、ヤス(仮名)という男の子がいました。
 マンガ「じゃりん子チエ」に登場する「テツ」のような風貌で、悪坊主だけど、どこか憎めないキャラクター。

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 初めての出会いは小学2年生の時。
 当時転校生だった私は、人見知りすることもあって、なかなか新しい環境になじめないでいました。
 前の学校ではお互いに「さん」づけで呼びあっていたのが、新しい学校では呼び捨て。
 教室ではいつも男子と女子がケンカ。
 とても乱暴な印象を受け、すぐには溶け込めなかったのです。
 
 ある日近所の空き地で転校生同士遊んでいると、上級生のお姉さんからお呼び出し。

 「ここはウチらの場所なんやで!!」
 
 数人で私達転校生を取り囲み、二度とここで遊ぶなといわんばかりの口調でした。

 「あんたらが赤ちゃんの時からここで遊んでたんやで!!」

 それだけの理由で立退きを要求されるのは、子ども心に納得できませんでした。
 私はお姉さん達と対決するハメに。
 すると彼女達は大人数で決着を決めたかったのか、ご近所仲間を呼び集めてきました。

 召集された仲間は高学年から低学年まで、15人くらいいたでしょうか。
 その中にヤスはいました。
 敵の素性を確かめるべく、私はヤスに問いかけました。

 「あんた、何年生よ!!」

 一瞬口をつぐんでヤスが答えました。

 「オ、オレ、4年生や!!」

 年上ばかりだと認識した私は、なおさら引き下がれなくなりました。
 私と同じ転校生の友達が、その時どうしていたのかよく憶えてないのですが、抵抗していたのは私一人だったように思います。
 ケンカは長期戦にもちこまれ、やがて陽も暮れはじめてきました。
 最後には石を投げてくる人もいました。
 石を投げてきたのはヤスのお兄さん。
 刈取りのすんだ田んぼから、土手の上に立つ私に向かって、何度も石を飛ばしていました。

 その時の私の心境は、
 「そこまでして打ちのめしたいんやったら好きにしたらええやんか」というものでした。
 完全に開き直っていました。
 「怖い」という気持ちもあったけど、ここで逃げたらもっとカッコ悪いと思った私は、あえて無抵抗のまま突っ立ってました。
 その時、止めに入ってきたのがヤスでした。 
 
 「兄ちゃん、もうええやんか」

 それでも投げつづけるお兄さん。
 抱きかかえるように引き止めるヤス
 身内からストップが入ったことで、ようやくケンカは終焉を迎えました。
 緊張の糸がほぐれたように家路へ向かう私。

 最近のイジメと違い、締めくくりがあった上でのケンカでしたから、後をひくことはなかったです。
 親にも報告しませんでした。 
 翌朝になるといつものようにケロッと登校していました。
 数日後、学校で見つけたヤスの姿。

 「あの時の子や!!」


 すぐに私は身なりをチェック。
 学年ごとに指定色があったので、ヤスの帽子に注目しました。
 するとヤスは私と同じオレンジ色。
 
 「あんたも2年生やんか!! ウソつき!!」


 これは後で知ったことですが、ヤスは学年で一番ケンカの強い「番長」でした。
 いつも子分をひきつれていた、典型的な「番長」(← 今となっては死語ですね^^;)。
 だけどワルになりきれないのが彼の魅力で、女子には優しかったように思います。
 ヤスを恐れる女子はいなかったから。
 中学校では一部の先生からやたらと気に入られていました。(「じゃりん子チエ」でいうところの、花井のおっちゃんみたいなもんです)
 男子生徒からは恐れられてたかもしれませんが、無抵抗の人間まで攻撃するような「番長」ではありませんでした。
 少なくとも私とっては「コワイ存在」でなく、「番長」というよりは、
 「あの時止めに入ってくれたヤツ」でした。

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posted by 亀有夕子 at 13:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 思へばあの頃 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月26日

思へばあの頃(その4)


学生の頃、特急列車で車内販売のバイトをしていた。
ワゴンを押して歩いていたら、ボサボサ頭のオッサンが手を挙げた。


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オッサンの耳には補聴器が。
声にならない声で注文していた。
私は自分に言い聞かせた。
「この人は耳が不自由だから丁寧に聞きとらなければ」

何度も聞きなおして缶ビールを渡そうとしたら
オッサンが私の胸に手をのせた



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「そんなことするんだったら売りません!!」

手渡した缶ビールを掴み取り、オッサンを睨みつけてその場を立ち去った。
隣の車両に移ったところで正気に戻る。

「お客様にあんなことして、訴えられたらどうしよう!!」

振り向くと追いかけてくるオッサン。
ワゴンを押しながら逃げまくる私。
こんな時に限って車掌室がない!!



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行き止まりで観念すると、聞き取れない言葉で忍び寄るオッサンの影。
その手には千円札が握りしめられていた。

“すみません ビールください
ありがとう
あんなふうに怒ってくれる人は初めてだった”


おそるおそる缶ビールを渡すと、オッサンは何度も頭を下げて戻っていった。
人を殴って喜ばれたのは、私も初めて。

posted by 亀有夕子 at 11:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 思へばあの頃 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月12日

思へばあの頃(その3)

高校時代に「須藤さん」という友達がいた。

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トイレに行けば音消さないし


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いつも遅刻してくるし


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髪の毛はバサバサで服装は無頓着。

新しいクラスでいつも一人。

おとなしい性格でこれだけ浮いてたらイジメのターゲットになってしまう・・・

と(余計な)心配をした私は、彼女に声をかけみた。


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ところが


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水泳の授業では


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ダンスの授業では


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いつのまにか、私が面倒みる羽目になってしまった。

のちに彼女の第一印象を話すと、須藤さんから一笑される。(わかってたけど)


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聞けば小学校でイジメは経験済み。

「あの頃を思えばどんなことでも我慢できる」と言い切っていた。




須藤さんがおもしろいのは、意外と教養があるところ。
真面目に授業を聞けば誰でも点が取れる定期テストで赤点を取る。
そのくせ実力テストではクラスで十番以内に入ったりする。
レポート提出のために美術展に誘うと、彼女はちゃんと鑑賞していた。
いつも自分の言葉で語れる人だった。

どうみても大学受験向き。
こんな人が論文書くとおもしろい。
「あんたみたいな人は大学いかなアカン!!」と何度も私は彼女に詰め寄った。
彼女が本気出したら私は負けていたと思う。

卒業してからもよく遊びに行った。
彼女の誘いで京都や奈良のお寺めぐり。
弥勒菩薩に感動していた19才の須藤さん。
私にはわからない何かを感じ取る彼女が大好きだった。


posted by 亀有夕子 at 12:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 思へばあの頃 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月29日

思へばあの頃(2)

 

いき場がなくて、どこもわるくないのに入院していた聾唖のSさん。

ケースワーカーが調整し、公団で住むことになった。

なぜかSさんは精神障害者の作業所で通所することになった。

(受け入れ先がなかった?)

 



 

専門外の障害(聾唖)をフォローする人は誰もいないのに、

ものおじしないSさんは皆の似顔絵を描いてその場に溶け込んでいた。

 

Sさんはどこでも生きていける人。

しばらく作業所に来ないと思っていたら、

伊勢佐木町の路上ミュージシャン(外国人)と一緒に流しをしていたらしい。

 

 

ある日、作業所から旅行することになり、私はジェスチャーで伝達事項を伝えた。

 


 

 

一人暮らしの聾唖のSさん。

目覚ましかけても意味がなくて大寝坊。

それでも彼はあきらめない。

旅行会社におしかけ、どういうわけか北海道まで付き添ってもらってきた。

声にならない必死の訴えがそうさせたのか。

普通なら自己責任なのに、彼は「障害」を有効に使っていた。

 


 

 

Sさんの部屋を見に行ったら、音のない世界だった。

テレビのボリュームはゼロ、目覚まし時計は時間を見るだけ。

テレビをつけると音の加減がわからず、隣の部屋から苦情がくるらしい。

 

公団に住むSさん。

はじめてもらった自分の城。

(ここが台所、ここがトイレ、これは本棚)と嬉しそうに案内しながら、カラーボックスの扉をあわててしめていた。

 


 

突然パニクるSさん。

必死で何かを訴えるけど、私は旅行会社の人じゃないからよくわからない?(笑)

 


 

その後の牛丼屋でもずっと必死なSさん。

声をだして彼の言い訳を解読してたら、後ろのお客が急に吹きだした。

 

 


※誤字訂正、正しくは「隣の人が」です(すんません)

 

 

コントじゃなくて、他人にナマで吹きだされたのは初めて。

 

 

posted by 亀有夕子 at 10:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 思へばあの頃 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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